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書評

大澤真幸著『帝国的ナショナリズム』青土社2004.12.刊行

『東洋経済』2005.2.5. 95

橋本努

 

 

日本政府は昨年の暮れに、自衛隊のサマワ駐留を一年間延長することに決めた。もちろんその背後にある理由は「石油の利権」であり、そこに政治的打算が働いていることは誰の目にも明らかであろう。またそうした打算に「苛立ち」を感じるのは私だけではあるまい。しかし、なぜわれわれが苛立ちを感じるのかといえば、それは日本の国益というものが、いまやアメリカの帝国戦略のなかにすっぽりと収まっているように見えるからであろう。いったい日本社会は、すでにアメリカを中心とする帝国の支配下に組み込まれているのだろうか。

本書は、こうした大局的な問題に手掛かりを得るための、豊富な視座と分析を示す評論集である。例えばオウム事件、酒鬼薔薇事件、国旗・国歌法、オタク論、クリントン元大統領の不倫問題、コロンバイン高校銃撃事件、等々を素材として、著者は変容する日本とアメリカの〈現在〉に鋭いメスを入れている。いずれも切れ味のよい論考であり、どの頁を開いても独創的な思考と着想に出会うことができる。現代社会を深く、そして面白く読み解くための視座を求めるならば、まさに本書こそ、最適の入門書であるだろう。

 表題にある「帝国的ナショナリズム」とは、現在のアメリカ合衆国の特徴を表す鍵概念である。アメリカは現在、国際的な正義を運用・管理することのできる〈帝国〉として振舞う一方で、他方では、京都議定書や国際刑事裁判所の規範から離脱するという、きわめて利己的なナショナリズムを露わにしている。イラク戦争においてもアメリカは、世界に民主主義と繁栄をもたらすという大義(普遍的正義)の背後で、自国の利権を拡大する国家戦略を巧みに作動させている。現代のアメリカ社会は、いわば国家エゴイズムを内包した〈帝国〉として描くことができるであろう。

 しかし著者によれば、そこに働いているナショナリズムの力学は、もはや国民統合の原理ではない。むしろその理念は、国民という単位を、さらに小さな共同体へと分解していくような「ポストモダン多文化主義」であり、国家レベルでの社会統合を示すアイデンティティは、次第に曖昧化している。人々は個々の共同体に属しつつ、国家全体を包括する未規定のアイデンティティを確保しようとするが、その企ては未規定であるがゆえに一貫性を持たず、結果としてアメリカは矛盾だらけの政策を露呈させてしまう、というのが著者の診断である。まさに〈帝国〉の困難は、私たちの多くが理想とする「ポストモダン多文化主義」の思想的脆弱さにあるというわけである。

 橋本努(北海道大助教授)